ネイリスト
NAILIST
いつも前向きで、自分らしくいるために。
日々の暮らしに寄りそう
ここちの良いネイルを心がけて。
Owner / Nailist
三島 由紀
Yuki Mishima
プロフィールProfile どんなネイリストが施術してくれるのか、不安な方も多いと思いますので、自己紹介をさせていただきます。
三島 由紀(みしま ゆき)
・1982年3月18日生まれ |
幼少期 |
母親いわく、小さい頃は内気でおとなしく、自分の思っている事を、あまり外に出さず、どう思っているのか、なかなか分からなかったそうです。 | |
小学校 |
3人兄弟の長女で、弟の面倒をよく見ていました。 弟が2人いたので、小さいながら、私はちゃんとしていないといけない!と思っていたように思います。 そのせいか、あまり自分の意思を表に出さなかったのかもしれません。 小学校4年生の時に、友達の家の犬に赤ちゃんが生まれたので見に行きました。その中で一匹だけ真っ白な子犬がいました。 ひと目で気に入ってしまい、両親に頼み込んで「チロ」と名付けた犬を飼い始めました。 毎日散歩に行っていたら、足が速くなり、小学校6年生の時には、足の速さは学年で1番でした。 |
|
中学校 |
小学校の足の速さを活かして、中学では陸上部の長距離に所属し、毎日毎日ひたすら走る日々!夏は日焼けで真っ黒でした。 引退するまでは髪もショートで、よく男の子に間違われていました(笑) 中学は、いろんな地区から生徒が集まってきていたので、友達の幅が増え、おしゃれにも興味がわいてきました。 |
|
高 校 |
部活には所属せず、早くお金を稼いで洋服や欲しい物を買うために、アルバイトにせいを出す日々。おしゃれへの興味は増すばかりで、真っ黒なマニキュアを塗って学校に行き、先生にあきれられる事も。次第に東京へ憧れを抱くようになりました。 アルバイトのお金を貯めては東京へ、友達と夜行バスを使って弾丸で買い物に行くように。 当時、大好きで毎号買っていたCUTiE(キューティ)やZipper(ジッパー)というファッション誌でヘアメイクという仕事を知り、東京でヘアメイクの仕事がしたいと思うようになりました。 |
|
専門学校で |
同じクラスで仲良しだった友達と東京の専門学校に行きたい!という夢ができ、両親の猛反対を押し切って東京のヘアメイクの専門学校に進学しました。東京は本当におしゃれな人が多くて、雑誌やテレビでしか見た事がない場所にも行けて、本当に刺激的な毎日でした。 私は相当な頑固者で、わがままだったので、今思えば両親は本当に大変だっただろうなと思います。 3人子供を育てて、仕送りもして一体どうやって生計を立てていたのか、それでもサポートし続けてくれていました。 専門学校の途中から、美容部員のアルバイトを始め、銀座三越や渋谷西武の化粧品コーナーで働いていました。 ヘアメイクの夢は、なかなか就職先が無いことや、就職できたとしても、しばらくはアシスタントで給料も出ない、出たとしても、とても一人暮らしはやっていけない現実に、他の道を考え始めていました。同じ美容関係で手に職があるもの。辿り着いたのがネイルでした。 |
|
ネイル |
美容部員のアルバイトを辞め、もう少し給料の良い派遣会社でアルバイトをしながら、ネイル専門学校に通いました。 私自身、ネイルサロンには1回しか行った事が無かったので、ネイルの知識もほとんど無く、正直続けられるかどうかは全くわかりませんでした。 小さい頃から、細かい作業は好きで、いろんな物を作ったりしていたので、ネイルの細かい作業と奥の深さに、すっかりはまってしまいました。 興味がある事には、とことん追求するタイプなので、もっとできるようになりたい!上手くなりたい!と試験に向けて練習したり、コンテストにも出場していました。 |
|
就 職 |
ネイル専門学校の先生の紹介で、「ここなら技術を磨けるよ」 と大手ネイルサロンに就職しました。入社したての頃は、先輩と同じようにお客様にネイルができるようになる為に毎日毎日、練習していました。たくさん仲間もでき、サロンワークとコンテスト出場に明け暮れる日々を送っていました。 社内では、定期的に技術や接客試験などがあり、本当にいろいろと鍛えられました(笑) 認定講師という資格をとる事もでき、店長に昇格、そして課長職にも昇格。おかげさまで、コンテストでは一度優勝する事ができました。 順調にネイリストとして経験を積んでいましたが、勤務年数が長くなるにつれ、お客様にネイルをする事以外に、社内での仕事も増え、プライベートを犠牲にして会社と家との往復の日々。 これから先の人生もこのままで良いのだろうか…と考えるようになりました。 そんな時、さらなる昇格の話を頂き「もう、今しかない!」と思い、10年お世話になった会社を辞める決意をしました。 |
|
私がラパンを |
会社で働いていた時は、短時間でお客様の数をこなすといった、流れ作業のような日々。 時間に追われ、余裕が無く、お客様に新しい提案をする事や、今思えば、本当に親身になってネイルをする事がなかなかできていませんでした。 ネイルも日々、進化していて、いろいろな方法や新しい商品がどんどん出ています。 「お客様の爪の健康を第一に、一人一人に合ったネイルを提案したい」
|
幼少期 |
|
母親いわく、小さい頃は内気でおとなしく、自分の思っている事を、あまり外に出さず、どう思っているのか、なかなか分からなかったそうです。 | |
小学校 |
|
3人兄弟の長女で、弟の面倒をよく見ていました。 弟が2人いたので、小さいながら、私はちゃんとしていないといけない!と思っていたように思います。 そのせいか、あまり自分の意思を表に出さなかったのかもしれません。 小学校4年生の時に、友達の家の犬に赤ちゃんが生まれたので見に行きました。その中で一匹だけ真っ白な子犬がいました。 ひと目で気に入ってしまい、両親に頼み込んで「チロ」と名付けた犬を飼い始めました。 毎日散歩に行っていたら、足が速くなり、小学校6年生の時には、足の速さは学年で1番でした。 |
|
中学校 |
|
小学校の足の速さを活かして、中学では陸上部の長距離に所属し、毎日毎日ひたすら走る日々!夏は日焼けで真っ黒でした。 引退するまでは髪もショートで、よく男の子に間違われていました(笑) 中学は、いろんな地区から生徒が集まってきていたので、友達の幅が増え、おしゃれにも興味がわいてきました。 |
|
高 校 |
|
部活には所属せず、早くお金を稼いで洋服や欲しい物を買うために、アルバイトにせいを出す日々。おしゃれへの興味は増すばかりで、真っ黒なマニキュアを塗って学校に行き、先生にあきれられる事も。次第に東京へ憧れを抱くようになりました。 アルバイトのお金を貯めては東京へ、友達と夜行バスを使って弾丸で買い物に行くように。 当時、大好きで毎号買っていたCUTiE(キューティ)やZipper(ジッパー)というファッション誌でヘアメイクという仕事を知り、東京でヘアメイクの仕事がしたいと思うようになりました。 |
|
専門学校で東京に上京 |
|
同じクラスで仲良しだった友達と東京の専門学校に行きたい!という夢ができ、両親の猛反対を押し切って東京のヘアメイクの専門学校に進学しました。東京は本当におしゃれな人が多くて、雑誌やテレビでしか見た事がない場所にも行けて、本当に刺激的な毎日でした。 私は相当な頑固者で、わがままだったので、今思えば両親は本当に大変だっただろうなと思います。 3人子供を育てて、仕送りもして一体どうやって生計を立てていたのか、それでもサポートし続けてくれていました。 専門学校の途中から、美容部員のアルバイトを始め、銀座三越や渋谷西武の化粧品コーナーで働いていました。 ヘアメイクの夢は、なかなか就職先が無いことや、就職できたとしても、しばらくはアシスタントで給料も出ない、出たとしても、とても一人暮らしはやっていけない現実に、他の道を考え始めていました。同じ美容関係で手に職があるもの。辿り着いたのがネイルでした。 |
|
ネイル専門学校 |
|
美容部員のアルバイトを辞め、もう少し給料の良い派遣会社でアルバイトをしながら、ネイル専門学校に通いました。 私自身、ネイルサロンには1回しか行った事が無かったので、ネイルの知識もほとんど無く、正直続けられるかどうかは全くわかりませんでした。 小さい頃から、細かい作業は好きで、いろんな物を作ったりしていたので、ネイルの細かい作業と奥の深さに、すっかりはまってしまいました。 興味がある事には、とことん追求するタイプなので、もっとできるようになりたい!上手くなりたい!と試験に向けて練習したり、コンテストにも出場していました。 |
|
就 職 |
|
ネイル専門学校の先生の紹介で、「ここなら技術を磨けるよ」 と大手ネイルサロンに就職しました。入社したての頃は、先輩と同じようにお客様にネイルができるようになる為に毎日毎日、練習していました。たくさん仲間もでき、サロンワークとコンテスト出場に明け暮れる日々を送っていました。 社内では、定期的に技術や接客試験などがあり、本当にいろいろと鍛えられました(笑) 認定講師という資格をとる事もでき、店長に昇格、そして課長職にも昇格。おかげさまで、コンテストでは一度優勝する事ができました。 順調にネイリストとして経験を積んでいましたが、勤務年数が長くなるにつれ、お客様にネイルをする事以外に、社内での仕事も増え、プライベートを犠牲にして会社と家との往復の日々。 これから先の人生もこのままで良いのだろうか…と考えるようになりました。 そんな時、さらなる昇格の話を頂き「もう、今しかない!」と思い、10年お世話になった会社を辞める決意をしました。 |
|
私がラパンを作った理由 |
|
会社で働いていた時は、短時間でお客様の数をこなすといった、流れ作業のような日々。 時間に追われ、余裕が無く、お客様に新しい提案をする事や、今思えば、本当に親身になってネイルをする事がなかなかできていませんでした。 ネイルも日々、進化していて、いろいろな方法や新しい商品がどんどん出ています。 「お客様の爪の健康を第一に、一人一人に合ったネイルを提案したい」
|